話しがそれて愚痴になる瞬間がここにあり?
取り敢えず写真貼っとけ見たいな投げやりな気持ちでいたりする
どうも、しろくろぜろりばーす 中の人です。
やりたい事があっても踏み込めない、やろうとしても思うようにいかない。
もう何度も嘆いているようなこの感じ…
人にはそれぞれに合った適正があるとは言えそれを見出すのは困難だったりする。
人には考え方のベースとなる物、認識フレームなるものがあるでしょう。
例えば料理を毎日のようにしている人からすればと料理をすること自体を当たり前のことと認識しているでしょう。
しかし普段、料理をしない人はすること自体を当たり前とは認識しておらず特別な事と認識してるでしょう。
文章を書くにしてもそうです。
慣れている人ならまるで言葉を話すかの要領でスラスラと書き出せるでしょうが慣れていない人ならそもそも何をどうしていいかすら分からない人もいるかも知れません。
分からないなら調べればいいだろう?
確かにその通りです。
だが人によっては調べ方が分からない、調べたけど理解出来ない。
内容はわかったが始める段階で躓く。
どれも出来る人からみたらいい訳と捉えられるかも知れません。
中の人も今だに書くことには馴染みきれてません。
そもそも何かといい訳を見つけては出来ない状態を続けています。
行き当たりばったりです。
でもやらないよりはマシぐらいの浅はかな気持ちでやっています。
なので内容も起承転結もめちゃくちゃです。
これが自分に取っての適切なやり方かどうかもわかりません。
多分これを誰かが面白いと思う可能性もないでしょう。
日記所かメモにすらなっていない。
そんな感じ…てか何話そうとしたかもあべこべ…
人には各々の特性にあったやり方がある
— シロクロZEROЯ (@omega753r) 2020年5月4日
故にそれを踏まえた対応が理想
とは言え他人に対しそこまで意識を持てる余裕がある人が果たしてどのぐらいいるだろう?
そもそも考え自体が固定化された状態から書き換えるそれ自体がわりと難しかったりする
結局皆、自分の事で精一杯なのが本音かも知れない
最近ではTwitterの呟きすら上手くできない始末だったりする。
とはいえ極端な話し人、どうでもいい人にそんなに興味を持たないのも事実。
ブログにしろTwitterにしろとくに興味を示す要素がない物には気には留めないだろう。
寧ろ、アンチでも何でも見てもらえたらある意味勝ちかもとさえ思ったりする。
語彙力と表現力
— シロクロZEROЯ (@omega753r) 2020年5月4日
これは本当に欲しい
方法は幾らでもある
だが自分に適切なやり方を継続させる点で躓く
多分ダラダラやって3年位掛かればワンチャン位な感じ関の山…何て言って見る
基礎所か基礎に入る前段階に立つ事から始めないと埋けないらしい
取り敢えず3年位、継続出来れば何て浮ついた気持ちでいます。
3年あれば洗脳完了ブラック企業理論
これで行こう?
さて今回もなにも始まらないまま終わりにしたいと思います。
読んで下さった皆様、読んでいない人達も!
ありがとうございました。